「これからの「フェミニズム」を考える白熱討論会」チケットが5時間で完売

KuToo運動で有名な元グラビアアイドルの石川優実さんと、「表現の自由」をメインとする言論活動で有名な青識亜論さんとの討論イベント「これからの「フェミニズム」を考える白熱討論会」が11月16日に開催されます。

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https://twitter.com/ishikawa_yumi/status/1182305217796173824

討論の場は石川さんのこの発言を受ける形で設けられたものですが、発言から5日程度でイベント開催が実現してしまったのには驚かされます。

会場はベルサール新宿グランドですが、このイベントのチケットはわずか5時間で200枚がすべて売り切れてしまいました。

チケット代は4000円と安くはありませんが、いかに表現の自由とフェミニズムというテーマに関心を持つ人が多いかがよくわかります。

正直、私もこんなに早く会場が埋まるとは思いませんでした。

もっとも、表現の自由をかかげて50万票以上の票を集めた山田太郎氏のような議員もいるのだから、そんなに不思議なことでもないかもしれませんが。

このイベントの動画配信は行われないようですが、内容については独自タグで実況されるようです。後日noteなどで書く人もいるでしょうが、当日は盛況が予想されます。

このイベントで司会を務める小保内太紀さんは以前『カフカと知恵の輪』というコンビで活動していた時、芸人による相方の女性に対する不快ないじりを告発した経験があり、フェミニズム的な問題にも親和性のある方です。

今は「9月」という芸名で活動しています。

青識亜論vs石川優実の論点整理

この討論会には、もともと「前哨戦」としてのやりとりがあります。

まず、石川優実さんが「コンビニから水着の表紙をなくさなくてもすむ方法」と題した文章をnoteに投稿しています。

https://note.mu/ishikawa_yumi/n/n6c9f4ea32e71

この文章の中で、石川さんはこう主張しています。

男性は生まれた時からセクハラをしてしまう生き物なのでしょうか?そうじゃない。社会にたくさん、「女を性的に堂々と楽しんでもいいよコンテンツ」がありふれているからだと思います。それらが肯定されている、相手にとって失礼になりうることだというメッセージがないからだと。「女性を性的に楽しんでもいいよコンテンツ」が、フィクションだと思えないのだと思います。だってコンビニという公の場所でお金を払わなくても誰でも気軽に女性を性的に楽しんでもいいよコンテンツ=水着女性のグラビア表紙が置いてあり堂々と楽しんでいいんだもの。しかも小学生中学生が対象の少年誌。誰がそれを公の場でしてはいけないことだ!って思えるんだろう?って逆に思う。

コンビニという公共の場に露出度の高いグラビアが堂々と置かれていることが、「女性を性的に楽しんでよいメッセージ」となり、これがセクハラの蔓延につながるという主張です。

これに対し、青識さんはこのように反論しています。

セクハラであるとは、権力や暴力などによって、「本人の意に反して」性的な言動や関係性におかれることを指す*2
 
 重要なことは、性的に楽しみ、また楽しみを与えるということについて、お互いが対等な関係性において同意と了解が結ばれているかどうかなのであり、「性的に楽しむこと」「それを肯定的に言うこと」自体がセクハラの肯定になっているというのは、明らかな論理の飛躍である
 
 グラビア写真のどこをどう見れば、本人の意に反する性的関係性(セクハラ)の肯定になっているのだろうか?
 
 石川氏は、「どこでも」「公の場所」という要素をさりげなく挿入して、セクハラとの関係性を主張しようとしているが、究極的に重要なのは公共性や空間の性質ではなく、性的な関係性についての対等な合意があるかどうかなのである*3

確かにグラビアは「女性を性的に楽しむもの」ではあるが、それがセクハラ肯定につながるわけではない、という主張です。

グラビアという仕事は、撮影される女性がその仕事を主体的に選択したものです。これを男性が楽しむことに、「本人の意に反する」要素はありません。だからグラビアアイドルの載った雑誌をコンビニにおいても、それはセクハラ肯定にはならないのだと青識さんは主張しているわけです。



二人の主張の食い違いをどう考えるべきなのか?

私は、青識さんが主張しているとおり、「コンビニにグラビアアアイドルの写真の載った雑誌が置いてある」ことと、「セクハラが肯定される」ことの間に明確な因果関係が示されていない、と考えます。

石川さんは男性は生まれつきセクハラをするわけではなく、それをどこかで「学習」するはずだと主張しているのですが、その場所はコンビニ雑誌のグラビアなどではないでしょう。

もしコンビニの雑誌がセクハラを学習する場所なら、グラビアアイドルなど存在しなかった時代にはセクハラなど存在しなかったことになりますが、そんな事実はありません。


思うに、コンビニでグラビアを見ている男性も、それを「堂々と」楽しんでいるわけではありません。

普通の男性なら、雑誌をただで立ち読みし、しかもそうした写真を見ることは、多少の気恥ずかしさを感じる行為ではないでしょうか?

つまり、多くの男性は「グラビアはこっそり見るもの」と思っているのです。

堂々とやっていいこととは思っていないのだから、これがセクハラ肯定につながることはあり得ません。

もしセクハラを「学習」してしまう場があるとすれば、それはコンビニなどではなく、セクハラをしても咎められない職場なり学校なりでしょう。


グラビアを見ることで、「ほかの女たちもこうして身体を見られたがっているんだろう」と思う男性がまったくいないとは言い切れません。

しかし、そのような男性に対しても、セクハラをおこなわないよう啓蒙を行うことで対処すべきと考えます。

セクハラを防ぐためコンビニからグラビアを排除するという方向性だと、あきらかに損をする人が出てきてしまうからです。

そして、その人の中には女性も含まれるのです。

グラビアアイドルは困らないのか

少年漫画誌の表紙を飾るものとしてグラビアは本当にふさわしいのか、という議論はあっていいと思います。

ただ、コンビニにグラビアアイドルの写真が消えるとなると、グラビアを仕事としている人はそれだけアピールする機会を失うことになります。

また、グラビアで読者をひきつけていた雑誌は、売り上げが減ってしまうかもしれません。

コンビニからグラビアを排除することで、多くの人の不利益につながる可能性が出てきます。

女性向け表現規制につながる可能性

倉持由香さんも指摘しているとおり、身体の美しさを売りにしているのは女性グラビアアイドルだけではありません。

女性ほどではないにせよ、男性の半裸の身体が女性誌の表紙を飾ることもあります。

そして、そういう雑誌もコンビニで売られているのです。

https://togetter.com/li/1415722

このまとめにもある通り、今は女性による男性へのセクハラも問題視される時代です。

コンビニのグラビアがセクハラの母体になるというのなら、女性誌の表紙などもまた問題となってしまうのではないでしょうか。



今のところ、石川さんはアニメや漫画などの表現規制は主張していません。

ですが、石川さんの主張は「漫画の内容に影響を受けた男性がセクハラをするようになる」といった主張と地続きのものです。

漫画にも男性を性的に楽しませるものがあり、これをコンビニで立ち読みすることはできます。

グラビアをコンビニで立ち読みできることがセクハラ肯定になるというのなら、漫画にも同じ効果があるという話になってしまうのではないでしょうか?

読者がグラビアと一般女性の区別がつけられないという前提に立つなら、フィクションと現実の区別だってつけられない、というところまではすぐに行きつきそうです。

石川さんはそう主張しないかもしれませんが、石川さんの主張を読んだ人が「ならマンガだって問題だ」と言い出す可能性はあります。



以上、青識さんよりではありますが、両者の議論について思うところを書いてみました。

11月に行われるこのイベントが、こうした疑問や懸念に答えてくれる内容になることを期待しています。